よしたかエッセイ 第二章                          よしたか


■イラストレーターと名乗ってみたけれど・・・

父親が死んで障害者年金も打ち切られることになり、経済的にどん底になってしまった上に、会社を辞めた自分を待っていたのは、さらなるどん底であった。
「退職金18万?!ありえやんやろ7年もおって!」家族や周りの人間にもそう言われ、「たしかにそうだよなぁ」とは思ったが、社内規定でこうなるのだ、と言われればグウの根も出ない。会社員とはそういうものだろう。「業」に入っては「業」に従うのが「従業員」なのだから。(かといって長年サービス残業を甘んじてこなしていたのは間違っていたと反省している。なにか動くべきであった)
そんな金が今後の生活の足しになるわけもなく、不本意ながら失業手当をもらうことにした。だが、あっという間にその期間は終了した。僕はワードで作ったあからさまに素人臭いホームページをなんとかもう少しマシな見栄えにしようと、ホームページビルダーというソフトを買って試行錯誤して完成させた。イラストレーターという肩書きの名詞も作った。どこに配ったらいいのか、どういうタイミングで役にたつのかはわからないが、とりあえず作ってみた。イラストレーターやデザイナーには国家資格などないのだから、名乗って違法ということはあるまい。そう思った。そしてそれは正解だった。

リニューアルして少しは見れるようになったホームページを武器に、イラストレーターとして登録できるサイトを片っ端から登録した。20箇所くらい登録しただろうか。探せるところは全て探し、登録無料のところは全て登録した。有料のところは辞めておいた。割と名の知られたところでも、「当社のイラストレーター紹介本に見開き2ページ掲載で5万円」というような商売をしているところがある。馬鹿な。と思う。僕と同じようにイラストレーターとして名乗りだしたばかりの人間はとにかく実績が欲しくて、名を世に出したくて、こういう話に乗ってしまうのかもしれない。しかし、ほんの少し考えたら分かるが、イラストレーターという商売はイラストを描いてお金をもらうことで生計を立てる商売なのである。何故イラストを掲載するのにお金を払わなくてはならないのか。むしろそういう会社には「私のイラスト掲載料はこのようになっております」と金額を提示すべき立場なのだ。その根本的なところで誤解してはいけない、と思う。

それはさておき、とにかく登録し尽くすほどしたものの、反応があるでもなく、時間は過ぎていく。まずは生活である。僕は地元のあらゆる派遣会社に登録した。なるべくクリエイトする職業を望んだが、都合よくあるはずもなく、僕の地元では販売系か工員か事務員という選択肢しかなかった。イラストを描きためてデザイン会社などに営業に行こう!そう考えていたのでその為の時間が欲しく、フルタイムで働くのではなく、週4日程度の勤務にしたかった。そうすると販売員という選択しかない。時給は1350円だった。一日11時から20時。休憩1時間の8時間労働。月17日勤務で176,800円である。

あれ!?
と思った。会社員時代の月給よりはるかにいいのである。人材派遣とは安定していない分、時給を高めに設定して即戦力となる労働力を集めているのだと知った。会社員時代はほぼ毎日10〜14時間労働で且つ常時忙殺されており、26日くらい働いていたのだが、もらっていたのはこれより低い。もっと世の中の相場を勉強して知り、不当な労働を強いられないためにも抗議し交渉すべきであったと思う。まったくもって無知であり馬鹿であった。

さて、そうして派遣販売員の仕事をしながらイラストを描きためる日々が始まった。生活は依然汲々としており、先の見えない不安で一杯であった。なにしろ、「イラストレーターです」と名乗ってはみたものの、まだ実績などなにも無いのである。

販売員の仕事は立ちっぱなしだったのが辛かったが、それ以外は非常に楽であった。「こんなに楽でいいの?」と思えるほどであった。会社員時代は、帰宅したらもう疲労困憊であったが、販売員は8時間働いても、なんともないのだ。足以外疲れてない、といっていい。

作品もずいぶん溜まってきたころ、地元のデザイン会社などをwebやタウンページで探しては連絡を取り、ファイルを配ったりするようになった。はじめのころは、それはそれは緊張した。受話器を持つ手が震えた。なにしろ、なんの縁もゆかりも無い会社に、いきなり「こんな絵を描いてます!是非使ってください!」と売り込むわけだ。必要とされているところに絵を卸しにいくのではなく、「自分の絵を使えば貴社にこういうメリットがありますよ」とアピールして自己を認知してもらい、僕の描くイラストの「需要」を作り出し、そうして「供給」して満足していただける環境を創出するのが営業なのだ。まったく未知の世界であるし、とんでもなく難しい行動のように思われた。

当時、大きな仕事をするだけのキャパシティが自分に無いことを自覚していたので、とにかく地元の、どんな小さな仕事でもいいからそこから始めたかった。しかし、営業先の言葉は冷たく厳しいものであった。

「は?イラスト?いいですいいです。そーゆーの間に合ってます」
「まーこういうイラストはウチでは使わないからねぇ・・・」
「素材集で間に合ってるからいらないです」
「え?お前、コレで金とんの?」

これらは大抵、電話の会話の一部である。直接会うことは少なかった。こと「絵」に関して「絵なんぞに金なんか払えるか」という意識が露骨に見えたのが残念であった。地方和歌山では文化的な振興がまだまだ弱く、都会に比べ後進的なのだ。一応イラストファイルは送付するものの、ガックリ肩を落とすことが多かった。

話は前後してしまうが、2001年10月に創作物のレベルアップを図る目的で大阪芸術大学の通信教育デザイン学科に入学した。通信大学というと、なじみの薄い人もいるだろうが、僕もまったくよくわからなかった。ただ、デザインの専門教育と大学の一般教養くらいは学んでおこうと思い、少ない給料の中でもギリギリ学費が払えるくらいの額だったので、半年悩んで入学を決意したのであった。スクーリングという年に数回ある面接授業がある意外は、送られてくる課題をひたすらこなすという地味な勉強方法であった。つまり、僕は当時学生でもあった。

営業活動もなかなか芽が出ない。自分はこのままフリーターで終わるんじゃないだろうか・・・?そんな恐怖に苛まれていた最中、悪夢のような出来事が僕を、いや僕の一家を襲った。

悪魔というのは確かにこの世に居る。そう確信した出来事であった。

冷たいと思われるかもしれないが、僕は人に騙された人間を可哀想だとあまり思わない。騙すほうはもちろん悪だが、騙される方が馬鹿なのだ。それが金銭の問題においてをやである。「金」に関する明確で揺ぎ無い「哲学」が無いから騙されるのだ。信じるべきモノと信じるに値せぬモノとの区別が出来ない未熟さが原因なのだ。だから「私は騙された!」と声高らかに主張している人間に至っては可哀想どころか不愉快さすら覚える。「私は馬鹿だ!」と言っているのと同義語なのだ。被害者面をする前に未熟な己を恥じて過ちを教訓にして成長すればい話なのだ。ただ感情的に同情を求める姿は見ていて痛々しいだけだ。

と、それが他人ならば冷めた目で見ていられるわけだが、身内となるとそうはいかない。現実に洒落にならない金の問題が僕の目の前に立ちふさがった。そうして、比較的まっとうに生きていた一人の人間が目に見えて転落していく姿をこの目で見た。衝撃的な出来事であった。

要するに、そのとばっちりが飛んで、僕の貯蓄はゼロとなり、借金が残った。まともに職が無い上に借金。そしていつ回復するともいえない心の病気を患った身内を抱えることになった。

物の破壊される音、怒声、罵声。
父親が生きていた時よりも今のこの現状の方が酷く感じた。

小さいころは「地獄」とは、地面の中にあるものだと思っていたが、なんのことはない、「ここ」のことじゃねえか。

本気でそう思った。




だからといって、「金」のために「夢」を諦める気にはならなかった。僕はもう、夢に向かって一歩踏み出しているのだ。全然仕事がないし、まだ学生をしている修行中の身だけれど、一歩踏み出した以上、前に進まなければならない。眼前に立ちはだかる壁は高いが、そもそも、人生とはそういうものだ。壁が見えたからといってその度に迂回していては、目的に辿り着けるはずがない。人生に重要なのは、「金」ではない。「運」でも、「才能」でもない。
強い「意志」こそが重要なのだ。僕は、乗り越えてみせる。

派遣業務をより給料の高い職種であるCADオペレーターに変えて、一日10時間労働になった。職場が大阪になったので通勤にも時間が掛かってしまう。派遣なので交通費が出ず、痛い出費であったが、それでも一日必ず一度は机に向かい、絵を描く、ということにはこだわった。僕はイラストレーターなのだ。一日設計業務に追われて終わってしまうのはおかしい。短い時間でも「絵を描く」ためにこの一日があったと思いたい。

そんな日々が始まってしばらくしたころ、一本の電話があった。

「ジャイラのHですけど、榎本よしたかさんはいらっしゃいますか?」

ジャイラとは、日本イラストレーション協会のことである。聞き覚えがあった。ジャイラが運営するネットでのイラストレーターの登録サイト「イラスト進歩ジウム」に、作品とプロフィールを登録したことがある。もちろん仕事獲得と自己アピールのためだ。同様の登録サイトにも20件くらい登録した。そのひとつであるジャイラからの電話があったのである。緊張した。

「はい、私が榎本よしたかです。お世話になっております。」

「お世話になります。今回榎本さんのプロフィールを見られた方から仕事の依頼をしたいという話がきてるのですが、引き受けられますか?」

「はい!是非!」

来た!ついに企業から僕のイラストを使いたいという依頼が来た!鼓動が高まった。僕の描いたイラストを、必要としてくれる企業があるのだ。それが純粋に嬉しかった。沸々と身体にやる気がみなぎっていくのを感じた。

イラストレーターを名乗って、3ヶ月が経過した日の出来事であった。

                                            (07/7/30)

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