よしたかエッセイ 第五章                          よしたか


■はじめての売り込み。

「こんにちは!お世話になっております。イラストレーターの榎本よしたかと申します!」
自分でも有り得ないと思うくらい元気良く声が出た。妙に高い声だった。僕は生来、声が低く、ぼそぼそとしゃべる悪癖があり、会社員時代は電話で「え?!すみません今なんて?!」とよく聞き返されていた。しかし、イラストレーターになってからは電話での対応時にはなるべく元気良く声を高くしてしゃべるよう心がけていた。石の上にも三年というのか、高くしゃべりつづけていれば次第に生の声も高くなり、以前はカラオケで尾崎豊の歌を歌うのに2つほどキーをさげなければならなかったのが、現在では原曲キーでOKである。一オクターブも高くなったのだ。それを自覚していた僕でも、この声は高いぞ、というような挨拶だった。
「ああ、遠路はるばるどうも」と笑顔でおっしゃられたのは、一度取引したときの担当D氏だった。ブースに案内され、名刺交換をする。初めて会う人が2人ほどこられ、1対3という図式になる。「こちら榎本さん。今日は和歌山から来てくださったんだ」「へえ〜それはそれは」「あ、こういう絵を描かれてるんですね!かわいい〜〜」といった具合に話が進み、予想だにしないフレンドリーさに機嫌をよくした僕は、やたら饒舌になったのを覚えている。自分の絵と、アポイントメントを取ったとはいえ、忙しい仕事を中断させてしまっている僕に、これほどまでに肯定的に接してくれるとは正直思って居なかったので、本当に嬉しく思った。想像していたワーストな対応は、「あ?榎本?知らないなぁ。あ、前にウチの雑誌の絵描いてくれてた人?ああ、カットね。そんなの描く人たくさんいるから。こんなファイルわざわざ持ってこなくても、郵送でいいんだよ郵送で」というような態度で玄関で門前払い、くらいは覚悟していたのである。今ならなんというネガティブシンキングなんだと笑い飛ばせるが、経験が無い者がみせる想像力とは得てしてすさまじい。
終始やわらかい空気の中、30分ほどの談笑を終えたあと、「また来月分もたのみますよ」とD氏に言ってもらって出版社を後にした。心地よかった。こんな経験ができるのなら、もっとはやく東京にきて出版社めぐりをするべきだったと思った。心地よい疲労感を胸に、僕は次のクライアント先へと向かう。この日は3社回った。足が棒になったが、どこも反応がよく、歓迎ムードで接してくれた。技術的にも未熟な田舎者の都会進出に戦々恐々としていた僕は、とにかく安堵のため息をついた。その日も友人宅に泊まって、翌日帰郷した。和歌山に着いたら、またバイトの日々の始まりである。けれども、どこに住もうが、僕の絵は東京で通用する!とういう自信めいたものが身体に満ちて、バイト後のイラスト描きがますます楽しくなった。

それから本屋に出かけることが多くなった。このところ和歌山には大型の書店が新しく二つもできて喜んでいた。が、それは趣味で欲しい本が見つかりやすくなったから、という理由ではなく、さまざまな種類の雑誌や書籍をゆっくり見れるようになったからだ。僕はイラストが使われた雑誌を手にとっては、そのタッチ、用途、イラストの点数などを把握し、出版社の名前と連絡先(住所と電話番号)をメモに控えた。店員さんに見つかると怪しまれるので、隠れてコッソリとメモを取った。どんな雑誌にどんなイラストが使われているのか。逆にどんなイラストにどんなニーズがあるのか、という市場調査を僕は本屋で行った。普段ならば手に取らないような児童書などにも食指を伸ばす。それらは楽しい作業だった。なぜなら、ひょっとしたら、今僕が手にした本の出版社が、近い将来僕のクライアントになるかもしれない。今この行為は一期一会への第一歩なのかもしれないのだ。

そうして、調べた企業名を検索し、ホームページを見て会社の方針などを調べ、電話をする時は相変わらず緊張したけれど、「じゃあ、○○日ならOKです。遠いところ恐縮ですが是非来てください」と、大抵は好意的な返事がもらえる。売り込みに対する抵抗感や恐怖感は次第に薄れていき、今では全く無い。全然知らない企業にもどんどん入っていけるし、初対面の人たちを前にしても半時間くらい談笑できる。第一歩を踏み出さなければいつまでたっても「僕、人見知りで・・・」とか「電話苦手なんですよね・・・」なんて泣き言を言っていただろう。まだまだトークは未熟だけれど、それもこれから磨いていこうと思う。なんにしても経験に勝るものは無いと思う。

その後、渋谷、五反田など、会場は23区内を転々としたけれど、都度地図を片手にドリルに向かった。友人H宅に2泊して一日目はドリル参加、二日目は売り込みというカタチで活動した。少しずつ手ごたえを得て、売り込み先から仕事が舞い込むようになってきた。にわかに日常が忙しくなってきた。一日5時間は寝るように心がけていたが、それもだんだん少なくなってきた。身体が壊れては元も子も無いので、フルタイムで働く派遣の仕事をやめることにした。今、イラストだけで生活するのはかなり困難だが、もっとイラストに人生の時間を割きたいと思った。減った収入はその新しい活動によってすぐ補えるはずだ。このころには会社を辞めることを決意した25歳のころより、自信がついていたためか、戸惑いはなかった。きっとできる。もっと上に進めるはず。

ここまで書いて、まるで順風満帆のような書き方だなぁと自身失笑するところがあったので、失敗談というか、こんなこともありましたという話を少ししたいと思う。なかなかのトラウマものの話である。

「大抵は好意的な返事がもらえる」と書いた。そう、大抵は好意的なのだ。しかし中にはこういう人もいる。ある有名出版社S社に電話したときのことである。多数雑誌を出版されているし、イラストもたくさん使われている。書店でみかけて連絡先を知った企業のひとつだ。
電話をかけて自己紹介する。何度も繰り返しているのでもうカンニングペーパーは必要ない。先方は若い女性の声でこういう。
「あぁ・・・でしたら○日の○○時でしたら大丈夫ですよ。私が対応しますので是非おこしください・・・」
「はい!お忙しい中ありがとうございます!それでは○日の○○時に伺いますのでよろしくお願いいたします」
ドリルを終え、約束の日時に伺う。大きなビルだ。デカデカと表示された社名は遠目にも分かる。受付に「○○編集部の○○さんに○○時からアポイントメントを取っているイラストレーターの榎本と申します」とつげると、「あちらのロビーでお待ちください」と案内されたのは高級ホテルのようなロビーだ。

待たされること一時間。

やっと現れた若い女性は、電話の主と同一人物であることは一声でわかった。
「あぁ・・・・私が○○ですけど・・・」
20代前半と思しき、スタイルのいい美人だった。
「はじめまして。イラストレーターの榎本と申します」と名刺を差し出す。
「はい・・・」
ファイルをかばんから出してプレゼンを始めると、相槌のひとつも無いので不安になる。
「こういったタッチのイラストも手がけておりまして、御社の雑誌○○にもお使いいただけるのではないかと・・・」
「あぁー・・・はい・・・」目がうごいていない。
イラストファイルの最後のページにはプロフィールを掲載している。こうするとイラストの説明を終えた後で自分の話に持って行きやすいし、いくつかネタもあるから僕自身に興味をもってもらいやすいのだ。
「普段はこういった雑誌にもイラストを掲載させていただいておりまして・・・」
「あー、この雑誌・・・・」
「あ、ご存知ですか?」
「これ、ウチの○○って雑誌のライバル誌なんですよねー」
知ってる。だが、この情報はアポイントを取る電話で既に伝えてある。
「あのですねぇー・・・ウチ、ライバル誌で仕事してる人には仕事ふらないんですよねぇー・・・だって、アレじゃないですかぁー・・・そんなことしたらライバル誌と似たような雑誌になっちゃうっていうかぁー・・・」
髪をいじりながら話す女性。
僕はその当時、同じ系列の雑誌で、ライバル関係にある雑誌でも仕事をしてきた。もちろん若干タッチを変えたりもしているし、同じキャラクターを使ったりはしない。先方もそれを了承しているし、僕はどことも専属契約していないフリーランスだ。バッティングするからという理由で断っていたら、仕事の間口がせまくなってしまう。無論、その雑誌の表紙を描いていたなら、他のライバル誌の仕事は受けない、というようなモラルの観念は心得ている。が、イラストカットにそれほどライバル関係を意識している企業もあるのか・・・と僕は驚いた。
「そうですか・・・すみません」
「だからぁー・・・これ以上話してても無駄っていうかぁー・・・」
「わかりました。それでは失礼します」
「はぁ・・・」
女性は振り向くことなくエレベーターの方角へと歩いていった。
なんのためにファイルを見せて、タッチの違いなどを説明したのだろう。こちらの意図がまったく伝わらなかった。その日はガックリと肩をおとして帰った。事前に僕の活動内容については伝えていたのだが、彼女は注意深く聞いていなかったのだろう。ライバル誌の仕事をしている人間を採用しない、というのはおそらく彼女個人の意見ではなく、社の方針なのだろうが、それは理解できるとしても、彼女のあの人を食った態度がどうにも腹立たしくて、そうして何一つ反論することなくおめおめと帰ってきた自分が情けなかった。
「だから私はこういう仕事をしているものです、と事前に説明したじゃないですか。そもそも待ち合わせに一時間も遅れてきて、なんの説明もないのはいくらなんでも失礼でしょう。社会人同士の会話とは思えないあなたの口調や態度も大変不愉快です。時間を作っていただいてこんなことを言うのは恐縮ですが、そのような態度の方とは私こそ取引したくありませんよ。では、さようなら」
どうせ「あなたとは取引しません」と名言されたのだから、このくらい言って帰ってきたらよかった、などとその日は鬱々と独りで考え込んでいた。今となれば「そういう人もいる」という記憶の一部だが。

こんなことが三度ほどあった。ライバル誌云々ではなくて、「ええい、忙しいのにこんなときに来るなよ」という態度がありありと伝わってくる人だ。そんなときは空気を読んでプレゼンは手短にしておみやげファイルを残して帰る。まあ、なんにしても「いろんな人がいて、いろんな企業があるなぁ」と思う。これが理屈だけでなく、心で分かるためにはやはり経験が必要だったのだし、無駄なことではない。そうポジティブに捕らえることにしている。

後に、東京で知り合ったイラストレーターのMさんとお酒を飲む機会があって、売り込みの体験談などをお互い話していると、こんな話が出た。
「僕ぁねえ〜今は完全にデジタルになっちゃったけど、昔はアナログだったでしょ?それで売り込みには原画を持ち歩いてたんですよ。そりゃあいろんなこと言われましたよ最初は。ヘタだったしねぇー。悲しかったのは『Mくん、ここはもっともうしたほうがいいと思うよ』なんていいながら原画に赤えんぴつでガーッて!勝手に添削しちゃうオッサンがいてさあ。アクリル絵の具で描いた原画の上にだよ?!信じられないよね〜。あれには参ったよ」

Mさんはおもしろおかしく話していたが、僕だったらその瞬間にキレてるだろうな、と思った。
まあ、時間がたてば笑い話にもなる。失敗は恐れてはならない。
しつこいようだが、経験は、大切だ。


                                       (2008/4/27)

「終章・そして現在。」へ進む。 (執筆中)

「第四章・東京へ。」へ戻る 。